午前4時のデカルトと、世界内存在である私を存在たらしめたもの ―ゲルニカと虫さされ―
お久しぶりです。
すっかり世の中は大変なことになっていますね。
ヒゲダンのライブ、当選しましたが延期になりました。
発狂しています。
それでも日々、存在(ウーシア)をめぐる巨人の戦い(ギガントマキア)に身を投じている皆様はお変わりなくお過ごしでしょうか。
あ、すみません発狂しています。
コロナ禍で、急速な社会の変化が起きましたね。
私はというと、在宅勤務が取り入れられ、おまけに一時帰休というよくわからない制度により仕事が一部休業になっていました。
休業日は日がな1日ごろごろし、気が向けばファイナルファンタジー7リメイクとファイナルファンタジー9を交互にプレイし、軽めに星を救った後、15時間睡眠をとるなどして過ごしていました。良き日々。
でも翌日は久々の出社だというのに、過眠のせいで目が冴えて、眠れずに困っていたそんな時。
携帯電話が突如鳴り出しました。
見ると、大学時代のクラスメイトからの着信。
卒業して8年が経ちますが、その間連絡を取ったのは1,2回あるかないか。
先般、コロナに乗じたネットワークビジネスの記事を読んで警戒レベルを爆上げしていた私に死角はありません。
本能が告げる。
「これは、マルチ勧誘。」
が、マルチだったとしてもそれはそれで面白くね?????
2コール目には電話を取っていた。
自分のこういう所、よくないと思います。
「よぉ○○(私)!暇だろ?Zoom送るから来いよ。」
「久しぶり。OK。」
お互い何も聞かず、言わず。
ただ二つ返事でリモート飲み会の誘いに乗ってみました。
さあ来るなら来い。不安をあおりまくるが良い。
普通に、暇を持て余した「元哲学科」の集まりでした。
学友、ごめん。
申し遅れましたが、私は哲学科出身です。
皆様お察しの通り、哲学科は基本、おかしな人しかいません。
学生時代も思い返せば、キャンパスで談話しているだけで「社会不適合者の集まり」と罵られることはあれど、哲学科?キラキラ★合コンしよ!などと扱われたことはありません。
学科の友人たちが数人でルームシェアしていた部屋は、哲学科が集う吹き溜まりと化し、酒、麻雀、たばこ、チンチロリン、の中にハイデガーやウィトゲンシュタイン、孔子といった書物が並ぶデカダンスな空間で、堕落したもの程拠り所となり、さらに荒廃していくのです。かくいう私も利用者。
夢見る高校生がオープンキャンパスに来た際も、我々哲学科と高校生、相まみえた際のダメージを誰よりも深く理解し、希望に胸を高鳴らせた若者の目に触れることが決してないよう、まるで最初から存在しないかのように息をひそめて過ごしていました。
でも確かすぎる異質な雰囲気を隠すこともできず、存在するのかしないのか、それはあなたの判断に委ねます。そんなシュレディンガーみのある学科でした。
そんな苦楽を共にした(?)友人たちと昔話にも花が咲き、学生時代を思い出したのがこの記事を書いたきっかけです。ここまで、前置き。長い。
では本題へ。
みなさんは、今、存在してますか?
こいつめんどくさいなと思いましたね、私も思います。
でも主に哲学は、超絶ざっくり誤解を恐れずに言うと、「存在するって、つまりどういうことだってばよ?」というようなことをソクラテスやプラトンといった古代ギリシアの時代からもうずっとやってる学問なんですね。あほか。
ちなみに最初に言っておきます。
私は4年間哲学を学んで、何一つわかりませんでした。
いや、逆にもはやひとつの真理を得たのかもしれませんね。
この世のことは何一つとしてわからない。
すみません冗談です。
単純にあたまが悪いのだと思います。
今この記事を書いていて、4年間という月日と数百万の学費を投じて学んだことが、「この世のことは何一つとしてわからない」という事だなんて、絶望しています。
大学2年生の緑萌ゆる初夏の頃、「我思う、ゆえに我あり」で有名なデカルトについて学ぶ時期があったんですね。
「私はなんやかんや考える、ってことは考える自分がある、つまり私は存在する」って感じで英語やドイツ語のテキストを訳しながらへいこらやっていたわけです。
毎日新しい細胞が作られて、細胞単位でいえば私は毎日新しくなっている。
その私は、昨日の私と同じって果たしていえるのか?
文明の発達は目覚ましいが、進歩したテクノロジーによって今後私の記憶をすべて外部に移すことができたなら。
私の記憶をもった「それ」は私と何が違うのか?
「私」を構成するものって、何なのか?物質?記憶?感情?
え、私ってなんなん?私が自信もって「私!」て思ってる私は、なんなん?????
私以外、私じゃないの!!!!!!!!!!!!!!!
じゃあ私っていったいぜんたい、なに・・・?
ってなり始めましたか?
なってませんか、それでいいと思います。
外国語がまずわからんし、言ってる意味もそもそもわからん。
頑張って考えてもみてもわからん。訳を読んでもわけがわからん!
わからんづくし、すっからけっち~~~~~
な日々で、勉強は早々に諦め、バイトに打ち込むのでした。
当時私は居酒屋でバイトをしており、その日は珍しくお店が忙しく帰りそびれて終電を無くしてしまったわけで、近くのマクドナルドで始発を待っていました。
すると、深夜帯のマックのまばらな客の中に、ガリガリと勉強している見覚えのある人がいる。
大学の先輩でした。
その先輩は、哲学科ではないにも関わらず哲学研究室に出入りしており、哲学の授業にも潜り、独学で哲学を勉強しているという変わった人で、共通の知人を介し自然と仲良くなりました。
細身で長身。スマートな出で立ちに加え、いつもアバンギャルドな服を身にまとっており、セーラー服とベレー帽が彼のトレードマーク。
スカートからすらりと伸びる真っ直ぐで長い足は、まるで雪下大根のよう。
パッと見は前衛的なブランドのモデルさんかしら、と思えなくもないルックスなのですが、奇天烈なのは見た目だけではありません。
ある日学内に変質者が出るということで、学生に注意喚起のちらしが配られたのですが、それはその先輩がなぜか服を着ずにキャンパスを疾走していた所を目撃者が通報したためでした。
他にも不審な行動は多い傾向にあり、早朝のキャンパスでたばこの吸殻を集めている姿もよく見受けられました。
先輩の部屋に行った事もありますが、ここは現代の黒魔術研究所か何かか?と錯覚するような得体の知れない雰囲気を醸しており、散乱しているカップ麺の空き容器の中には、どうやって精製されたのか想像もつかないどす黒い何かが入っていたりしました。
部屋に到着早々家主である先輩は、「僕は寝ますね。」と言ってひとりロフトベッドで眠りだす、という自由奔放な人柄でした。
その日は私ともう1人の連れであるHさんと先輩の3人で遊んでいたため、家主就寝により残された私たちは、買ってきた酒を飲みながら朝を待つことにしました。
深夜、安い甲類焼酎を薄く割ったまずい酒を飲みながら、ぽつりぽつりと将来のことなどを話しているうちに、「学校の先生になりたいんだ。」「純粋な子供の時期に、俺が社会を教えてあげたいんだ。」と夜更けのテンションも相まって、夢を語るHさん。
ちなみにこのHさんは、学内でも名前ではなく「イケメンの人」と呼ばれるくらい正統派イケメンで顔面偏差値がバカ高かった。そんなHさんが、夢を語り、そして「髪の毛きれいだね。」と言って私の髪の毛束を取ったではないか。
イケメン!!僥倖〜〜〜〜〜!!!
え、フラグ?フラグ???
わ、わたしはイケメンなだけじゃふりむいてあげないんだからねっ・・・デュワ
などと下衆な思いが脳内を駆け巡っているうちに、Hさんはおもむろにハサミを取り出して、私の髪をいきなりシャキリと切った。
「あ、このハサミよく切れる……」
そう言い放ち、切った毛を見ながらハサミをシャキシャキ鳴らすそのサイコパスっぷりに、こいつが学校の先生になったらたまったもんじゃねえな。と心から思った事を覚えています。
ちなみに夢を叶えて現在は学校の先生をやっているらしい。
そんなこんなで、変な人が極めて多い哲学科ですが、先輩に関してはその中でも際立つ存在感がありました。
年下にも常に敬語を用い、知を心から愛し、世界の真理をひたむきに追い求める狂気さえも孕んだ求道者たる振る舞いに、多くの者は畏敬の念を込めて、「ゲルニカ」と呼ぶのでした。
時を戻そう。
ゲルニカと深夜のマックであいさつを交わした後、しばらくはお互い勉強を続けたり本を読んだりして過ごしていたのですが、朝焼けも近くなってきたころ、せっかくだから近所の公園付近を散歩しようということになったのでした。
散歩の話題は、今受けている講義の話。
前述のとおり、私は授業がちんぷんかんぷんな状態でしたので、当時疑問に思っていたことなどをゲルニカに質問し、それに対して答えてもらうというような感じでたらたら歩いていました。
詳しい内容は覚えていない。
そこらへんの草を見て、「植物に記憶あるのか知らんけど、あれも存在してますよね。」とかそんなことを言っていたような記憶。
徹夜明けで疲れた体と頭には、少々重すぎる話題です。
それに加えて歩き回っているのだから、正直体力は限界を迎えていました。
ひとまず公園横のベンチで座って休むことにしましたが、ふとこんな考えがよぎり始めました。
このような状態だからこそたどり着ける境地があるかもしれない。
普段の頭の使い方では一向にわからないことでも、肉体のパフォーマンスが低下することによって得られる閃きもあるかもしれない。
しかも、今日はゲルニカがいる。つよい。
私は今日こそ、世界の真理の扉をひとつを、開く。
何故かそんな気持ちになってきて、足りないあたまを必死に絞って、
人類史上未だ答えの出ない問題に果敢に挑んでいました。
その時です。
「え、蚊に刺されていますね。え、すごく蚊にさされていますね。」
ゲルニカが唐突に言いました。2回言いました。
そうなのです。
初夏の公園通りにはやぶ蚊が大量発生しており、私は手足を刺されまくっていたのです。
こちとら世界の真理に到達するかもしれない大事なタイミング。
かゆみなんか気にしちゃおれんわ、とあちこちをボーリボーリとかきむしりながらもかゆみに対する意識を濁らせつつ、思考を巡らせていたのです。
でも、その一言、いや二言で、すべては無に帰すことになりました。
もう、かゆみを認識してしまうとかゆすぎてかゆすぎて、かくこと以外の何も考えられない。人類の期待を背負った大いなる挑戦は失敗しました。
それにしてもかゆすぎるだろ、なんでゲルニカは刺されてないんだよ。
理不尽なかゆみに怒りさえ感じていた私に、ゲルニカは
「蚊に刺されるって、○○(私)は存在してますね。」
と言いました。
意味はわかりません。
ただ、尋常じゃないかゆみを携えた私は、実際に今ここにいることは確かであり、蚊に刺されたので存在は肉体ベースってことでよくね?という理性を吹っ飛ばした極めて唯物的な実存を認識するという体験をしたのでした。
私はずっと、何を言っていますか?
久しぶりにリモート飲みで再会したゲルニカは、一段とパワーアップしていました。
現在ヨーロッパの大学で中世哲学を研究しているそうで、洋書とランタンが立ち並ぶアカデミックな部屋で、顔を覆うほどの髭を蓄えた姿で珈琲を飲む様はまるで世捨てびt、仙人のようでした。
今思っても暇だな、と思うそんな学生時代でしたが、実益に直結しないことをじっくりと考える時間があったことは有意義で贅沢なことだったのかもしれない、と今になって思うようになりました。
実利ばかり追っているうちに、聡くなったつもりで本当は貧しくなっているのかもしれない。私は鳴らします警鐘。知らんけど。
コロナで新しい生活様式、とか言ってますがまだまだ家にいる時間は長そうなので、この機会に「哲学」の本でも読んでみるのはいかがでしょうか。
何もわからないけど、ちょっとだけ面白いです。
「反哲学入門」木田元