米は力だ!
あっという間に1月も中旬。
またご無沙汰してしまいました。
そして、2度目の緊急事態宣言が発出されてしまいましたね。
近頃はひきずっていた腰痛が悪化し、こりゃたまらんと年明け早々病院に駆け込んだところなんと。
おまけにコロナ感染症濃厚接触者の濃厚接触者という形で、問答無用のステイホーム強化期間に突入しています。
しばらくの間、仕事もいけない、体動かすのもしんどい、何か家でダラダラしながらできることってないかな・・・と思っていたところ、このゲームに出会いました。
天穂のサクナヒメです。
戦国時代を舞台とした、稲作RPGです。
ゲーマーを悉く米沼に落とすと聞く。
はい。お察しの通り、見事に沼に落ちてしまいました。
もう私もいい歳。
ゲーマーを自負していたものの、もうなかなかゲームにハマりきることができなくなって参りました。
世の中には面白いゲームがいっぱいあるんですよ。
やりたいゲームもたくさんあります。
実際買って、めっちゃ面白い!!!!ってなる事もよくあります。
けど、続かないんですよね。
ひとつのゲームをクリアする体力と集中力、そして何よりも記憶力が足りない。
社会人ともなると、ゲームに充てられる時間は休日や平日の夜の少しの時間だけ。
少し間が開くと、再開時に何からプレイしたらいいのか忘れてしまっているのです。
これは特にRPGや、私が愛してやまない牧場物語に代表される、拡大再生産型シミュレーションゲームにおいて致命的です。
そして、挽回がきかないミス(長くやればきくんでしょうけど)を犯してやる気をなくす。
もしくは、そのままゲームの存在が記憶のかなたへ飛んで行く。
頭がわるい上に飽きっぽいのでしょう。
こういった調子で、ひとつのゲームをクリアすることが大変困難になっています。
そんな私が、今作を買って6日でもうクリア目前。
プレイ時間も30時間越え。独りぼっちの三連休、すべて稲作に費やしました。
一言いわせてください。
米は力だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
春。
水を張った田んぼというものはなぜこうも美しいのだろう。
懐かしい鳩やとんびの鳴き声。
蛙や田螺も顔をだし、春の喜びに生命力あふれる田園。
夏。
青々とした匂いが鼻腔の奥に広がるような、太陽の下の稲。
少し目を離すとすっかり伸長し、田んぼに賑やかさが増す。
水を抜いて、稲を休ませる。さぁ、実りまであと一歩。
秋。
風にたなびく黄金色の絨毯。
実るほど頭を垂れる稲穂かな。
黄昏時の稲穂程、美しいものもそうないでしょう。
心を込めて世話した新米を囲炉裏を囲んでみなで食べるとき、大和人としての原体験を思い出す。
冬。
すっかり雪景色。
生き物の気配が消えるが、みな来る春に向け力を蓄えている。
だからこそ春の訪れがよりいっそう待ち遠しい。
さぁ来年もより豊かに過ごせるように、寒さに耐えて田起こしだ。
なぜだかポエムが書きたくなってしまいました。
いやーーーーーー、本当に面白い…
一説によると、農林水産省HPのQ&Aが攻略に役立つそうです。
私は自力でよい米を作りたくて攻略情報を一切見ずにやってきました。
でも、いもち病に毎年悩まされている。
薬をあげても治らない。
発生させないようあらゆる手段をとってもいもち病が発生しやがる!!!!!!!
何がいけませんか?
害虫も雑草もかなり気を付けています。
気温も低すぎず高すぎないよう、雨乞いや日照り乞いの祈祷をささげ、水量を整えるため狩りにもろくに行かずに田んぼに張り付いて世話をしています。
なのに。なのに……
農林水産省に凸する日も近いでしょう。
子供のころから牧場物語などの農業・酪農シミュレーションゲームが好きでした。
これらのゲームを通して思うことは、実際の農家の方のすごさです。
現実ではゲームのように、こうすれば虫がつかない、病気にならない、ということは、当たり前ですがないんですよね。
今日も鳥インフルエンザで何十万羽も殺処分されているニュースを見ました。
ひとつの病気で、全滅する。
丹念に育てた命が、実ることなく失われる。
その厳しい現実と、正面から向き合って生きていらっしゃるのが農家という人々なのでしょう。
宮沢賢治は農民を美しいといった。
間違いなくこの世界の真理のひとつだと思います。
飢えることなく美味しいものをお腹いっぱい食べたい。大事な人々に食べさせたい。
人間の根源的な営みが、農業には詰まっている。
そしてまた、このゲームのキャラクターがとても良いのです。
主人公であるサクナヒメは豊穣神と武神の子であり、文字通り神である。
ひょんなことから、怠惰で傍若無人なサクナヒメは神の都を追い出され、人間達との暮らしが始まるのですがその人間達もまたキャラが濃い。
教養はあるが武芸も野良仕事もまるでできない無能な落ち武者の田右衛門。
カタコトを話す異教の宣教師である女ミルテ。
それに加え、訛りが強すぎてもはや何を言っているのか全然わからない捨て子3人。
このメンバーで生活の糧を得なければなりません。
もちろんサクナヒメ以外の戦力は期待できないため、人間たち5名を飢えさせないようサクナが奮闘するほかない。
いらだつサクナ。時には衝突しながらも、奇妙な絆が育まれていくーーー・・・
この、異教の宣教師。
これがこのゲームのみそだと思いますね。
作品にとんでもない奥行きを出すことに一役買っている。
天穂のサクナヒメが普通の里山箱庭ゲーにならなかったのは、こういった世界観をぶっ壊す「異物」とも思われる要素を入れているからだと思われます。
というのも、みんなで囲炉裏を囲み夕餉を取ることが日課なのですが、そこで交わされる会話がかなり興味深い。
思えば、日本という国は宗教的な思想がそこまで統一されてないし、自分は無宗教かな~みたいな感じで生きている人も多いと思います。
お葬式ではなんとなく見様見真似でお焼香をあげてみるけど、年が明ければ神社に初詣に行くし、お米一粒にも神様が宿ってるんだからお残しは許しまへんで!と教わる。
尻は左手で拭いているし、急な下痢の時は神様助けてくださいとすぐ祈る。
あ、私だけですか。
神も仏もいっしょくた。
サクナはいわゆる神道の神さまであると思われますが、一神教の宣教師であるミルテからは「あなたは神ではない、天使だ。GODは唯一神であり創造主である。」というようなことを言われ激高したりもします。
八百万の神々と、一神教宣教師と、寺で仏教を学べども戦で心がすさんだ捨て子達。その教養でこの混沌を整理する田右衛門たちの織り成す会話は、現代日本における宗教観についてのメタファーなのでは、と思わず考えさせられます。
格差を生んだ源流をたどると、それは稲作だったかもしれないとも言われている。
人々が「蓄える」という概念を持ったことで、有力豪族が台頭したという歴史が日本にはある。
強き者が蓄え、弱き者が飢える。
ちなみに稲作が伝わる前の縄文時代は、争いによる死亡率がとても低かったというデータを何かの文献で読んだことがあります。死因の大半は病気・けが、だったそうです。
お米は日本人に決定的な影響を与えたのかもしれませんね。
なんせ米は力なんで。
それにしても、おいしい米が食べたい。
夕餉の献立を考えていると、どうにもこうにも米が食べたくなるゲームなんです。
みんなと夕餉を囲む演出がにくい。
きちんと献立通りの食べ物が並ぶのだ。
今日はウナギが取れたぞ、米も大盤振る舞いじゃ!
という日もあれば、
冬で食材あんまり取れない・・・稗、粟の増水だけで我慢してくれ・・・
などひもじい思いをさせたこともある。
豪華な食卓のみんなの笑顔が恋しい。明日もわたし頑張るから!
という気持ちにさせられます。
そして、自分自身もうまし糧をたらふく食らいたい。
無尽蔵の欲望がむくむく沸き起こります。
そこで、自称米マスターの姉に美味しい米について聞いてみました。
姉はかなりの料理好き、料理上手である。
米の浸し方から土鍋炊きに至るまで、熱い解説を受けた。
そんな姉に、
「その米を食べてしまうと、美味しすぎて他の米を食べれなくなる。その覚悟があるなら・・・絶対に後悔しない。」
とまで言わしめた米がある。
なんと・・・!
これはゲーム内ストーリーで出てきた、わざと依存度を高めた凶悪米が出回るという米騒動そのものではないか・・・!
すぐにぽちりました。
レビュー含めてまた改めて書こうと思います。
生きるために狩猟・採集・稲作をしていたかつての人々の暮らし。
そこに想いを馳せることができる、傑作ゲームをステイホームのお供にいかがでしょう。
お米に感謝、命に感謝、そしてお米をたらふく食べたくなること間違いなしです。