Official髭男dism 紅白歌合戦出場によせて

本当に自分はヒゲダンが好きなのか。

何がどう好きなのか。

 

Official髭男dismというバンドを知ってから、毎日それこそ浴びるように楽曲を聴いている自分に、繰り返し問う自分が居た。


今や飛ぶ鳥を落とす勢いのヒゲダン。

ストリーミング再生は歴代1位を獲得し、YouTubeでの「Pretender」MV再生回数は1億に迫ろうとしている。

そして、Apple Musicでの日本トップ10もヒゲダンの楽曲が多数をしめているという、もはや社会現象とも言えるこの状況。

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「自分はこんなに大衆に迎合する人間だったのか?」

不治の病であるところの厨二病を発症して20年近くがたつ。こちとら厨二のプロなのだ。

「世間でもてはやされてるだけの音楽聴くようなマジョリティじゃないんでね。」

いつもは息を潜めている、もう1人の自分が囁く。

 

でも何故かヒゲダンの音楽を聴かずにはいられない。

意味がわからない。

みんながいいというものってほんとうにいいものなのかなあ?

と煽る中学生がいるというのに!

何故だかわからないけど、この音楽の虜になっている。

自己の中に生まれたこの矛盾は、少しのストレスを生み、厨二特有の大いなる探究心を刺激した。

 


そして厨二は奮起した。

必ず、かの邪智暴虐ともいえる底無し沼を生み出すヒゲダンの魅力を解き明かさねばならぬと決意した。

厨二には難しいことは一切わからぬ。

だがやるしかない。

自分は、ヒゲダンとやらの何がどのように刺さり、ヒゲダン無しにはいられないような、こんなひどい有様になっているというのか。

この謎を解き明かすことは、私の宿命ってやつ。

 

そしてヒゲダンの音楽を、断った。

 

ヒゲダンにハマってからは朝起きたらまずYouTubeOfficial髭男dismの公式チャンネルを流しつつ準備。通勤、仕事の移動中ももちろんヒゲダン。帰宅してまずやることはTVをつけてYouTubeを立ち上げる。寝落ちするまで音を浴びるという具合の生活だった。

それをスッパリ辞めた。

まずは3日間、一切ヒゲダンに触れないようにしよう。

そうしないと、今の麻痺した感覚ではわかるものもわからないだろう。

フラットに戻そう、耳と心を。

そうしてヒゲダン断ちの日々は幕を開けた。

 

この3日間は他のピアノポップスや、いつも聴いている楽曲を聞いていた。

ちなみによく聞く音楽のジャンルはクラシックです。

大体いつも聴いているのはカラヤンのベートーベン交響曲全集か、バックハウスのベートーベンピアノソナタ全集。

基本的に音楽はとても好きで、その時良いなと感じるものをジャンル問わずちょこちょこと広く浅く聴いている。こんな感じなので正直JPOPにはかなり疎いのです。

アラサーにもなると、新しいものを探しにいくエネルギーがどんどん落ちて、お気に入りのエンドレスループに陥りがち。音楽に対しても代謝悪くなってました。

そんな自分だけど、新しい音楽にも触れたいと思い(もしかしたらこれもヒゲダンの潜在的な影響かもしれない)たまたま出会った日食なつこが良いなと感じた。彼女も才能あふれるアーティスト。

なので、1日日食なつこデーを追加で設け、ヒゲダン断ちはトータル4日となった。

 

 

 


そして今日、ヒゲダンを解禁した。

 

 

 

 

久しぶりに聴いたそれは、

ただどうしようもなくグッドミュージックだった。

 

多彩な音を放つピアノが、

心地よいうねりのベースが、

正確さとパッションが共存したドラムが、

エモーショナルかつパンクというアンビバレンスなギターが、

どうしようもなく無防備なところにすっと刺さる言葉を載せて、

それらすべてを統べるボーカルの声と共に

「鳴っている」。


ただ、それだけ。それのみ。

圧倒的音楽の前に、好きな理由とかなんでいいのかとか厨二だからそうゆうの聴かないもんとか。

そんなもんは全くの無意味だ。無駄だ。

ただそこに流れるグッドミュージックを享受することしか出来ない、だがそれでいい、いやそれがいい!

むしろそれ以外に何ができる。もはや自分に出来る事など、何一つとして残されていない。

そもそも解明しようとしたところで、乏しいボキャブラリでヒゲダンの魅力を表現できるはずもなかった。

酔っちまったんだ。厨二病のガキがかかる万能感…

痩せた粋がり!

ごちゃごちゃ言わずに最初からとっととおうちでおとなしくYouTube見て呆けていればよかったのだ。

良いものは良いのです。だからみんなも好き。

こじらせた果てに導かれた結論は、ただの真理だった。

久しぶりのヒゲダンは、ただの一曲だって音楽で溺れさせて理性を奪うには十分過ぎた。  

 

むしろ初めて聞いた時の衝撃を、もう一度味わいたいがための「フリ」だったような気すらしたんです、解禁前。

耳と心をフラットに戻すとか建前に過ぎず、限界突破するための一時的なリミッターを無意識に設けたんじゃないかと。

まぁそんな思考も聴いたら秒で吹き飛んだんですけど。

 

昔誰かが言っていた。

音楽は、持ち運べるようになって、その価値が下がった、と。

あらゆる人がいつでもどこでも好きな音楽を簡単に聴けるようになった。

その反面、音楽が消費に近くなった説。

仮にその説を採用しても

価値が下がってこれ????????

どんな品質ですか。一体全体いくらの価値がつけられるというの。


音楽って、楽器や声の空気の震えを直接自分の肌で振動として感じられてこそ。たしかにそんな一面もありますよね。

でもちゃちなイヤホンでも浴びるほど聴けてしまうヒゲダンの音楽、もし生の音を聴けたなら、どうなってしまうのか。これは聴きたい、聴きたいぞ……!


先日来年のアリーナツアーの抽選に応募した。

当落発表はあと数時間後。

一度ホールツアー追加公演の抽選も応募したけど落選した。今度こそはチャンスがほしい。


そのために日々を品行方正に過ごすことを心がけ、徳を積むことで掴み取る戦略をとった。

落ちているゴミを拾い、電車では席を譲った。

理不尽や不条理に腹が立つ夜も、自分に何か落ち度はなかったのか、もっとうまくやれなかったかと自省した。

嫌なことは全部飲み干した。

全てはヒゲダンのライブに行くために。


しかし帰宅途中の今、このブログを書くことに夢中になり過ぎた結果、家の鍵を会社に忘れたことに家の前で気づき呆然としている。

そして、上司に近場まで鍵を届けてもらうという結末を迎えた。(この間にリアルでは2時間が経過しました)


なんたる失態。

徳を積むどころか人様に迷惑をかけてしまったのです。

これは危うい。辛いけど否めない。挽回したい。

もうすぐ発表だけどまだやれるか、間に合うか。

誰かの幸せに貢献すること、それをやるのだ今すぐに。

届け!

 

飼い猫にちゅーるを与えた。

 

音楽の神に愛された天才と同じ時代に生まれたことにただ感謝を申し上げたい。

メジャーデビューから1年半でスターダムへと駆け上ったヒゲダン。

時代の寵児であらせられるヒゲダン。

その証として、紅白歌合戦へ出場する事が発表されたヒゲダン。

おめでとうございます。

家族で見ます。

 

 

これが言いたかっただけなのに、気づけば3千字。

グッドニュースに高まりすぎた末に普段書かないブログでこんな乱文を書き散らかして、鍵を忘れるなどしている。


今年の大晦日は彼らのグッドミュージックで2019年最高の締めくくりが出来そうだ。


Official髭男dismの紅白出場によせて〜