山田になりたい

私は山田になりたい。

山田くんをご存知ですか?

笑点の方じゃないです。

ちびまる子ちゃんの方です。

あの、薄ら笑いを常に浮かべながら「〜だじょ」という馬鹿丸出しの話し方をする、彼です。

 

唐突ですが、私は宮沢賢治が鬼好きです。

タイムマシンがあったら会いに行きたい人ランキングの上位3位に入る。

ちなみにトップ3は順不同で、宮沢賢治ベートーヴェンシューベルトです。

あとはバッハとモーツァルト高畑勲も捨てがたい。ゴッホソクラテスピタゴラスなんかも会ってみたい。

おいソクラテス、ちょっとそこ座りなさい。

何から何まですべてを否定して。

お前みたいなやつがいると仕事が何も前に進まないんだわ。否定するなら代案だしなさい。

そしてピタゴラス

宇宙の調和を表すハルモニアから音階を発明したんだって?天才すぎかよ。ピタゴラス教団入れてもらっていいですか?

くらいの事は言ってみたい。

 

宮沢賢治にはもし会いに行けたらプロポーズする気でいます。

まあ禁欲主義の賢治には即振られると思いますが。

賢治、当時アピってきた女子を撒くために、ほっかむりを被ってハンセン病のふりをして追い返したという逸話が残っています。

こじらせ方はんぱない。だがそこが良いのです。

賢治が好きすぎる話と、賢治のこじらせエピソードは熱量やばくなるのでまた別で書きます。

 

で、賢治と山田がどうしたって話なんですが。

山田って、ただヘラヘラ笑って、ちょっと間抜けなことしてしまって、クラスのみんなをドン引きさせつつも笑わせて、いや笑われてるんだけど、何がなんだかわかんないけどみんなが笑ってて幸せ、みたいな奴じゃないですか。

そんな山田が私には眩しく映るのです。

それはなぜかというと。

これまた急ですが賢治の作品に、超有名な「雨ニモマケズ」がありますね。

そちらを全文引用します。(出典 青空文庫

 

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ 陰ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

 

です。

読むたびに、こみ上げるものがある。

私はイライラしたり思わずバチボコにブチ切れてしまいそうなとき、一旦トイレに行って雨ニモマケズを暗唱するということで平静を取り戻しています。

特に、

欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている

の部分を繰り返します。

かなり冷静になれます。

おすすめライフハックです。

 

と、まあ日々穏やかじゃない気持ちを抱えている我々現代人は、このようないじましい努力によりこの殺伐とした現代社会を辛うじてサバイブできています。え、私だけ?

 

でも、山田は違う。

 

山田は、自分が周りにどう思われているかとか、自分の存在価値とか、そんな事を考えたりはしない。

楽しい時は笑い、悲しい時は泣き、ただ「今」を生きているのです。

それは、未来への不安や過去への後悔などとは無縁であることを意味し、今この一瞬をいかに懸命に生きるかという禅のエッセンスをも内包しています。

仮に、まる子の所属する3年4組のみんなにデクノボーと思われていたとしても、彼にはそんなことを認識することの意味すら持たない。

 

褒められもせず、苦にもされず。

 

山田はまさに、賢治が晩年に病床で手帳に書きつけた、この雨ニモマケズの目指す姿を体現しているのです。

そうなんです。それでいいはずなんです。

人の不幸は共に悲しみ、人の幸せも、共に祝う。

自分がどうだ、とか、あの人はどうだ、とか、そんな事は気にしなくていいんです。

未来も過去も、囚われるくらいなら考えなくていいのです。今に集中して生きていれば、自ずと不安はうまれないのです。

貯金が0でも問題ないはずです。

ですよね?そうだよと言ってください。

 

でも、そんな簡単な事が、できないのです。

だからこそ私は山田に強い憧れを抱く。

山田を見て、なんて美しいのだと、お前はいまを生きているかと、痛烈に問い質されているような居心地の悪さすら感じる。

あの薄ら笑いに、恐れおののく。

決して私が到達することのない高みで、朗らかに生きる山田が、眩しくて直視できないのです。

 

私は山田に、賢治が目指した無私の美しさを見ている。

だから山田に私はなりたい。